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☆バーソ☆
おはようございます。
いまの時期の公園を歩くと地面に紅葉の落ち葉が積もっています。
この写真は、その中の小さな緑の葉に陽が当たっている構図ですね。
枯れた葉の中にも生きている葉があり、
それを天がちゃんと見ている。
そして、それをちゃんと人間が見ている。
と、そんなことを思いました。
新約聖書のヨハネ福音書にこんな言葉があります。
「光はやみの中に輝いている。やみはこれに打ち勝たなかった」(1:5)
確かに陽の光が差し込めば、暗い地面も明るくなります。
闇は光に打ち勝てないのは宇宙の原理なんですね。
じつはこの「光」とはキリストのことで、ヨハネはこう言っています。
「光が世に来ているのに、人々は光よりもやみを愛した」(3:19a)
なぜなら、
「その行ないが悪かったからである」(3:19b)
どうも人は自分と同じ心の波長の人に近づくようです。
でも、世界が暗闇のように見えたとしても、
その中には密やかに、健気に、必死に生きている人もいます。
陽の光はだれにも公平に当たっているのですから、
その恵みをいつも覚えていたいものだと思いました。
凛桜*Rio
バーソさまへ
バーソさん こんばんは。
いつもありがとうございます。
バーソさんのコメントは、
まるで投稿されている記事のようなストーリー性があり、
何回も読ませていただいております。
「ヨハネの福音書」という言葉を見ますと、
自分がキリスト系の幼稚園の時に通っていた時のことを
おぼろげに懐かしく思い出します。
クリスマスの時に、生誕劇を毎年行うのですが、
宗教のことは分からなかったものの、
イエス様という存在に、とても神聖な氣持ちを抱いていた記憶があります。
「光が世に来ているのに、人々は光よりもやみを愛した」
という言葉を読ませていただいて感じたのは、
現代社会でも、「闇」にスポットを当てて発信されている情報は多く、
そこに興味や関心を抱いたり、不安を感じている方が多い、ということです。
バーソさんが書いてくださったように、
天がちゃんと見てくださっていますし、
太陽の光はだれにも公平に当たっていますね。
その恵みをいつも覚えている、その光を見ている側の人間でありたいなと
改めて感じました。
波長が合う人=氣が合う人
今の自分と合っている人は誰なのか、
いい人と繋がっていることを感じられると、「いい波長を出しているのかな」と嬉しくなります(*^^*)
バーソさんもそのお一人です。
いつも素適なコメントを届けてくださり、ありがとうございます。