Comments 4
馬場亜紀
凛桜さん、「ワタリドリ」知りませんでしたので早速動画に飛んでいきました。若い!フレッシュな歌声が羽ばたいていく歌ですね!教えてくださらないと知らないままでしたよ、きっと。最近、なるべく興味のなかったジャンルも聴くよう努めていますが、自分だけの検索なんて、本当にたかが知れてますね。こうして繋がりがあったからこそ、新たな世界も覗けるんだなあと嬉しく思います。
あっ!詩の通りですね!「求めてない時にサプライズ」が^o^
ありがとございます⭐︎
凛桜*Rio
馬場亜紀 さまへ
亜紀さん こんばんは。
そうだったんですね!
「ワタリドリ」が亜紀さんにサプライズ(吉報)を運んでくれたんですね。
よかったです♪
亜紀さんの好奇心、素適ですね!
だからこその、あの読書量なんでしょうね。
前にも伺っていたらすみません。
亜紀さんは、どうやってこんなにたくさんの本を読んでいらっしゃるんでしょうか?
速読の秘訣ってありますか?
最近、読みたい本がどんどんたまっていまして・・・
もしヒントがありましたら、ぜひ教えて頂けたらありがたいです。
話は戻りますが、「ワタリドリ」は、何年か前に、車のCMで使われていたんです。
その後に、たまたまその車を購入し、そのことを知りました。
昨日、この曲を聴きながら、山へドライブに出かけたんですね。
そうしたら、頂上付近で、おんなじ車が止まっていたんです(笑)
こんな偶然ってあるんだ~!と、思わず笑ってしまいました。
「ワタリドリの」サプライズでした~!
こちらこそ、ありがとうございます。
☆バーソ☆
おはようございます。
花の赤い色がひときわビビッドで、ぼーっと浮き上がっています。
中央部分だけスポットライトが内側から弱く当たっているようです。
ピンと伸びたおしべ先端の「やく」というのでしょうか、
それが白い小粒の宝石のようで、
青っぽい古風な竹垣のさびれたきれいなボケ具合と相まって
何とも言えない穏やかな情感を見せています。
こんなきれいな彼岸花の写真は初めて見ました。本当です。
確かに、人間は求めすぎかもしれないですね。
求めなければ幸福が得られないような気がするのですが、
いくら求めても得られないことを繰り返す人生です。
欲望は人間を向上させ、また堕落させるものですが、
それに振り回されるばかりで、欲望を支配するのは難しいものです。
イエスは、「あなたがたは、神とマモンとに兼ね仕えることはできない」
と言って富(金銭欲)のことを「マモン神」と神格化しています。
ここでは、「相手にも自分にも求めない」が、なるほどと思いました。
相手に求めるために人間関係がうまくいかない場合がありますが、
自分にも求めないことも大事なんですね。
自分にも求めないなら気が楽になり、
あるがままに、ナチュラルに、生きられそうです。
3日の『風』のススキも、秋の心地良い風を感じるいい写真ですが、
「流れに身を委ね」「目の前に来たことを淡々とこなしていく」
のも同様の心境でしょうか。
しかし「サプライズはそんな時にやって来る」には
ちょっと驚きました。
サプライズですから、思いがけないことが起きるのでしょうか。
そのほうがうまく行くことが多いということでしょうか。
なにか実体験から語っているようですね。
昨日は気持ちのこもった長文のコメントをありがとうございました。
妻が寝るのが早いので、おおむね夜9時にはパソコンの電源を切るのですが、
最後にコメントを見たら、これは内容的に簡単には書けないので、
翌朝にすることにしようと思い、先ほど8時半ごろ投稿しました。
無意識状態のときに「浮かんでくる」とあったのが驚きでした。
凛桜*Rio
バーソさまへ
バーソさん こんばんは。
彼岸花の写真を褒めてくださり、ありがとうございます。
写真が「身に余る光栄です」と話しております(笑)。
バーソさんが使われる言葉、表現は、まさに美しい詩のようです。
中でも、この文章にうっとりしてしまいました。
「ピンと伸びたおしべ先端の「やく」が白い小粒の宝石のようで、青っぽい古風な竹垣のさびれたきれいなボケ具合と相まって、何とも言えない穏やかな情感を見せています。」
ありがとうございます。
何度も読ませていただき、反芻しては幸せな余韻に浸っております(笑)
私がこの詩に込めた思いは、
「求めないと、意外なところから求めていたものがやってくる」ということです。
求めるという執着を手放すと、気持ちが楽になるし、そんな状態の時に望みが叶いやすい。ということです。
でも、実は、この詩が浮かんだと同時に、
「だとしたら、新約聖書に出てくる「求めよさらば与えられん」の意味とは真逆になってしまうのではないか」という思考も浮かびました。
そこでしばらく考えたのですが、
「どちらもあっていい」という結論に至りました。
「求める自分」も必要だと思いますし、求めることにこだわりすぎていることに気づいたら、俯瞰して自分を見ることも必要なのかなと思います。
イエス様の「あなたがたは、神とマモンとに兼ね仕えることはできない」という言葉、初めて知りました。
教えてくださり、ありがとうございます。
仏教の「煩悩」を手放すことと似ているような感じがしました。
(もしも解釈に誤りがありましたら、どうぞご教示ください。)
また、3日の『風』のススキから、秋の心地良い風を感じてくださったとのこと、うれしいです。
この詩に込めた思いは、「私」だと意識している自分は、神様の一部分であり、神様がやりたいことを「私」が経験しているのだということ、そして、常に見守られている存在だということです。
ですので、どんなことがあっても大丈夫だから、安心して流れに身を委ねて生きていいし、神様が与えてくださった課題を、淡々とこなしていけばいい、ということです。
それを宗教感がでないように表現しました。
私は、どの宗教にも属しておりません。
仏教、神教、キリスト教…そのほかすべての教えが、きっと、もとは一つの存在から来ている教えだと思っております。
「神様」と表現しましたが、「創造主」とか「大いなる存在」という表現をされる方もいらっしゃいます。
バーソさんに伝わったらうれしいです。
ついつい長文になり、失礼しました。